1月
先日、久しぶりに記録撮影を行う為に現場に入った。
メイクシーン、受付、挙式、披露宴の全収録撮影だ。
記録撮影は結婚式・披露宴の最初から最後までを
すべて目で見て、耳で聞くことが出来る。
新郎新婦の人生の折り返し地点を【結婚式】というカタチで垣間見ることが出来る。
この仕事をしていなかったら出会う事も無かった人達の人生に立ち会う事が出来る。
エンドロールという撮影もあるが、これは撮影と同時に編集もするので、
スピーチなどを全て見聞きするわけではない。
その点、記録撮影は撮影しながらスピーチをじっくり聞くことが出来る。
これが記録撮影の醍醐味だ。
ゲストからのお祝いのスピーチを聞いているだけでも、ふたりの人となりが伝わってくる。
事前にプランナーさんから頂いているふたりのプロフィールも頭に入っているので
イメージを重ね合せながら撮影していくと、自然とふたりの世界観の中に入っていく。
最近、主賓のスピーチについてこんな事を私は感じていた。
昔は「一日も早く新郎家の味噌汁の味を覚えて良き妻となってください」
こんなスピーチを良く聞いたものだが、最近は全く聞かなくなった。
これは娘を嫁に出すという概念が無くなったからなのか?
新郎家で同居する場合が多かったからこういったスピーチだったのか?
いや、同居はしなくても新郎家に嫁ぎ、
いずれは家を継いでいくという意味だったのか?
結婚すれば苗字は変わるけど、それは形式だけのこと。
最近は長男であっても同居というのは殆ど無くなっているようだし、
ふたりで暮らすから「嫁ぐ」という概念も薄くなってきているように思う。
核家族というライフスタイルなら、親御様も
「嫁がせる」とか「嫁をもらう」とかそういった考え方ではなくなっているのかも。
実際、両家代表謝辞でも「息子が嫁をもらい…」とか
「嫁いできた○○さんを…」というような言い回しは減ってきたようだ。
披露宴のクライマックスには、花嫁から親御様へ
「今までお世話になりました」とお手紙を読むシーンがある。
これは元来、【嫁ぐ】事に対しての、親へ宛てた
「今までお世話になりました」という感謝と別れの手紙であったと思う。
しかし【嫁に出す/嫁をもらう】という概念がなくなり、
結婚とはふたりが親から旅立つ記念日であると考えるならば、
新郎も同じように親への感謝を伝えるシーンがあった方が良いのでは?と思う。
新郎謝辞という時間もあるが、読んで字のごとく、
宴の主催者である新郎からゲストにお礼を伝える場面なので、
結局披露宴の中で新郎が親へ気持ちを伝える場面は設定されていない。
昨日撮影させていただいた披露宴では新郎が新郎謝辞の中で
「お父さんお母さん今まで迷惑かけたけど、ここまで育ててくれてありがとう」
と短い言葉で伝えた。短くてもグッと心に来る感動のシーンだ。
同じ男だからこそ、その言葉に感動して涙が出そうになる。
仲人もいなくなり、嫁ぐという言葉も使われなくなり、
イクメンという言葉が認知されるようになった今、
結婚というスタイルもどんどん変わってきている。
私は、人生の大事な節目の結婚式をさらに最良の日とするために、
「新婦手紙」→「新郎・新婦手紙」をご提案します。
やっぱり記録撮影は楽しい。
また今回も感動をお届けする立場の私がお客様から感動をいただいてしまいました!